短い梅雨が明けたら、焼付くような強い陽射しに名古屋特有のまとわり付くような湿気の酷暑、そして37℃以上の猛暑がやって来た。 すると食欲は大幅に減衰、代わってアルコールの摂取量はうなぎ登り、体重は減少の一途が例年の常、それでも個人的には代謝が上がる夏が大好き、大汗かいても気持ちがイイ。 シャワーは、晩に朝にと浴びて全身をリフレッシュ、ここまで暑いと、真水でもまったく寒く感じない。 先日、Yセンセのクリニックの帰りしな、三河湾沿いの海岸線を走ると、砂浜にはビキニではしゃぐ彼女たち、あゝ夏本番だな!と思わず、ニンマリ(恥) 今週末は盛夏の三連休、308も車検完了となり、主治医のところへ引取りへと行くつもりである。 しかし残り2日を如何に過ごすか、成田空港は近くのホテル、エアラインの美しいCAに交じって、プールサイドで日焼けを楽しむ、またホテルのランチバイキングを楽しむと、いろいろあって迷ってしまう(笑)
そんな3連休を思っていたら、Mr.MCSCからLINE、内容は来る7月21日、ハイランドアタックin飛騨へと来ない?とあった。 ハイランドアタックとは、松本カースポーツクラブが主催する、林道をコースしたタイムトライアル。 もっとも林道といっても、ターマックなので、専用道路を使用した、スピードトライアルと言った方が正確かも。 クラス分けは、全部で8クラス、2本の合計タイムでクラス順位を競う。 行きたい気持ちは山々だけど、出場するクルマが無いです(汗)と返信すると、ヘルメットにグローブ、レーシングスーツにシューズだけでOkayと、氏曰く、所有しているGC8をレンタルするから、GC8で走ればイイじゃん!とあった。 CG8はクラシックカーのHクラス、しかし充分速く、ライバルも手強い、ましてやレンタルとなれば、何かあったら申し訳ないので、丁重にご辞退を申し上げた。 そこでフッと考えたのは、仮に出場するなら、個人的にはライバルの少ないFクラス、初代MR2は1.6Lのツインカムやスーパーチャージャーではなく、非力な1.5Lのシングルカムにてフラットアウトなんか楽しいのではと。
さてMR2とは、1983年の東京モーターショーにて発表されたプロトタイプSV-3をベースとして、市販に向けて若干仕様を変更、翌1984年6月に市販された日本初のミッドシップレイアウトの乗用車である。 開発に当たり、コスト削減と量産性を高めるために、FFとなった80カローラのコンポーネントを流用、これは、フィアット128の前後をひっくり返したX1/9と同じ発想。
時は1984年、すでに社会人となっていたワタクシ、銀座は数寄屋橋にてデイトの待合せをしていた。 時間に余裕もあったので、ソニービル2Fにある展示ブースへと行くと、そこにはデビューしたばかりのMR2、多くの人だかりだった。 早速、交じって拝見、直線を基調としたエッジの効いたスタイルではあるが、トヨタ・スポーツ800にも一脈通じるようなスタイルにも取れた。 日本初のミッドシップスポーツカーとあって、食い入るように細部まで観察していると、すでに待合せ時間を超過、時の経つのを忘れるほど興味津々、たぶん同年代の男子は、皆、そうだったのでは。 しばらく経って、知人が購入、ドライブさせていただいたが、ミッドシップというより、重心が低いな!といった記憶がある。 もちろん、数多くのモータースポーツに参戦したが、当時の風評は、確か微妙なコントロールが難しく、難しいクルマと言われていたような・・・ MR2は、その後、2代目となるSW20へバトンタッチ、更には3代目のMR-Sまで続いたが、売行きは思うように伸びず、年間生産台数も1,000台程度まで落ち込み、終には、2007年7月末をもって生産終了となった。
ついでに余談を一つ、1980年代、トヨタはWRCにおいて、グループBのTA64セリカ・ツインカム・ターボにて参戦していたが、もはやFRのセリカでは、4WDのライバル相手に立ち行かなくなっていた。 そこで、トヨタは4WDラリーカーの開発に着手、そのベース車両となったのが初代MR2、エンジンを4A-GELUから3S-GTEへ換装してミッドに搭載、4WD化したのが、開発コード222Dである。 当初、グループBのために作られたが、1985年、FISAは、グループBからプロトタイプマシンを規定したグループSへの移行を決定、これに伴い、222DもグループSへ変更された。 実戦投入に向けて、試作車が何台か製作されたが、先のBlogにあるように、1986年のヘンリ・トイヴォネンの事故により、FISAはグループBを廃止、併せてグループSへの移行計画も消滅したため、陽の目を見る事も無く、お蔵入りとなってしまった。 同じようにグループBを目論んだF40とは、ずいぶんと対照的なその後である。
初代MR2であるAW11は、今から20年くらい前が底値、20万円も出せば、グッド・コンディションが購入することができた。 当時、赴任先における足も兼ねて本気で購入を考えたが、諸般の事情で断念、しかし、今や隠れたコレクターズ・アイテム、あの時、購入していればと後の祭りである。 1989年のラストイヤーから、すでに24年が経過、もはやフルオリジナルでミント・コンディションを見付ける事は至難の業。 しかし名古屋はTOYOTAの本拠地、もしかしたらAW11の掘り出しモノに巡り合うかも知れない。 夢を再び密かに期待している(笑)