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Pray for Michinoku 2013-003

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プレイフォーみちのく2013は、大盛況まで行かぬも成功裏に閉会、盛岡市街へと向かったが、雨は更に強くなって来た。 一旦、ホテルへ寄って、スーツケースを降ろし、最寄りのガソリンスタンドへと給油に出掛けたが、すでに夕暮れが迫り、激しい雨と相俟って視界は最悪となり、慎重に市街をドライブ。 本来なら、隅々までキレイに磨き上げてから、IG様へとお返しするところであるが、如何せん雨ではどうにもならず、たいへん申し訳ない気持ちで、IG様の駐車場にジュリエッタ・スパイダーを収めると、ようやく雨が小降りになった。 ちょうどタイミング良く、IG様もご帰宅、そのままホテルまで送っていただいた。
この夜はジュリエッタ・スパイダーの御礼も兼ねて、IG様ご夫妻と会食、加えてロータス乗りのT大兄ご夫妻もお誘いして、ささやかながら後夜祭となった。 この頃になると、あれだけ激しかった雨も一時的に上がって小康状態、盛岡の繁華街を各町内の山車が繰り出していた。
後夜祭は、実に楽しく、話はアルファやロータス他のクルマのみならず、大震災発生直後の状況や、ツールドみちのくが持つ雰囲気と、話題は多岐に及んだ。 興味深かったのは、報道関係に従事するT大兄のお話、大震災発生後、直ちに現地へと取材を指示、ご自身も2日目に被災地へ出向き、取材をしていると、そこかしこに竹筒に花が活けられていた。 これは、亡くなられた被災者の、言わば墓標のようなもので、写真を撮影していると被災者の方々にキツイ叱られたそうである。 ご本人も、もっともな話と述べられたが、その惨状を間近に見ただけあって、お話は、実に生々しく聞こえた。 またT大兄は、エランやスーパーセブンを駆って多くのヒストリックカーイベントへ参加されるが、ツールドみちのくだけは特別と、あのアットホームな雰囲気は他には無いと賞賛された。 とかく勝敗に拘る傾向にある、この手のイベント、しかし所詮は遊び、やはり楽しくなくてはとも。 クルマ好きが、自慢のクルマで集って、共に走って懇親、ツールドみちのくは、ただただ楽しいだけである(笑) 気が付くと、2時間以上も経っており、明日の台風を心配しつつ、お開きとなった。 居酒屋を出ると、雨はすっかり上がっていた。

イメージ 1

翌月曜日、目覚めると曇り空、しかしTVから、しきりに台風情報、台風に向かって帰ることになった。 帰路の東北新幹線が盛岡駅1010発とあって、慌ただしくホテルをチェックアウト、駅構内にてお土産を買うも、これから遭遇する暴風雨を思うと、自ずと小さい土産となった(汗) そして定刻通り、東北新幹線は盛岡駅を発車、3日間を過ごした盛岡を後にした。 途中、豪雨のために徐行もあって遅れたが、東京駅に僅か1分遅れで到着、とりあえず東京までは帰ることができた。 台風情報によると、幸いにも東京は間もなく暴風圏から外れるとあったが、良かった!と思ったのはつかの間、台風の置き土産で富士川が大増水、危険水位まで上昇したため、渡ることができず、東海道新幹線は運休となった(泣) 東京駅のコンコースには、運転再開を待つ乗客で、溢れんばかりの人の群れ、ならばとカフェに行くが、当然の如く満席(汗) すると間もなく、水位が低下し始めたので1500から徐行にて運転再開のアナウンス、しかし大混雑は必至、暫く待機して、やや空き始めた頃、乗車券と特急券を購入、発車時間を待った。 ところが、ダイヤは乱れに乱れて大遅延、30分以上も遅れて、ようやく発車したが、徐行のみならず停車を繰り返して、結局、名古屋駅に着いたのは2100近くになってしまった。 盛岡駅を出発してから約11時間、ようやくプレイフォーみちのく2013が終了した。
 
さて今年のプレイフォーみちのく、当初は開催の中止が決まったが、N新実行委員長他スタッフの熱意もあって一転して開催、準備期間が極端に少ない中での開催となった。 ちょうど、その直後の同じエントランス仲間から参加の打診を受けたが、かかる名古屋暮らしの今を思うと、今年の参加は困難、一旦は不参加を決めたが、IG様やスタッフの皆様のおかげで参加するにいたった。 楽しみだったのは、走ることは元より、久しぶりに会う懐かしいスタッフやエントラントの皆様、中夜祭は、実に愉快で本当に楽しかった。 代わって廻った被災地、大震災から約3年が過ぎつつある中、未だに仮設住宅に暮らす被災者の皆さんが数多くいる現実、街そのものが完全消滅してしまった事実、これらを目の当たりにしたことで、遅々として進まない復旧復興を再認識するにいたった。 果たして、被災者の皆さんが再び街へ戻り、かつての賑わいや暮らしを取り戻せるのか、また本当に津波から安全が確保できるのか、そして個人としても何かしなければと思うが、どうにもならない真実に焦燥感だけが募った。  救われたのは、すべての被災者とは言えませんが、こうしてイベントが開催されて賑わうことに、大半は賛同していますよ、来年もまた来て下さいね!、大震災後に関わらず、釜石へようこそ!といった被災した方々の言葉、ここは額面通りに受取り、機会が有れば、再び被災地へ行こうと思った。 Blogをご覧の諸兄も、是非一度、被災地へと足を運ばれることを強くお勧めする。
 
 

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