名古屋残留となった日曜日、久しぶりの雨となり、気温もグッと下がって凌ぎやすかった。
残留となれば、いつもは彼是と予定を入れるのであるが、土日とも事業所にて溜まった諸事雑事を片付ける週末となった。
午後には、ほとんど完了、自室に帰ると、ちょうどNHKで伊丹十三監督のドキュメンタリー番組「こだわり男とマルサの女」が放映中、今年が没後15年とあって、都度、話題に挙がっているのは知っていたが、思わず、「宮本信子 天才との日々」・「伊丹十三「お葬式」への旅」と立て続けに見入ってしまった。 13の顔を持つ男と言われる伊丹十三氏、1.池内岳彦、2.音楽愛好家、3.商業デザイナー、4.俳優、5.エッセイスト、6.イラストレーター、7.料理通、8.乗り物マニア、9.テレビマン、10.猫好き、11.精神分析啓蒙家、12.CM作家、13.映画監督と、正にマルチタレントである。 戦前の名映画監督・伊丹万作が父、大江健三郎は義弟、昭和8年生まれと昭和一桁には珍しい180cmの長身のハンサムだった。
生い立ちを端折るが、1960年1月、26歳の時に俳優として大映東京へ入社するも、翌年にはフリー、そして「北京の55日」・「ロード・ジム」といった外国映画に出演、その撮影期間だった昭和36年、ヨーロッパに滞在、その時の逸話をまとめて、「ヨーロッパ退屈日記」として出版したが、ヨーロッパの情報に疎かった当時の若者に大反響となった。 内容は、映画・ファッション・スポーツカー・語学・マナーなど多岐にわたるテーマの短文集、実はワタクシも、ずいぶん前に読んだことがあるが、後年となって情報が氾濫していたので、然程、興味は湧かなかったが、自ら描いたスタイルブックにあるようなイラストや知的なセンスに溢れた解説は素晴らしく、こんなシャレた昭和一桁だったのかと感心した次第であった。
しかし番組の中で、伊丹十三を敬愛する去る大学教授が「ヨーロッパ退屈日記」を評して、一見、スノビズムを感じるが、実は上から目線は微塵もなく、「返す刀で」、1960年代の我々の日本の、貧しさというよりは陋劣さ、醜悪さ、緩さ、自己規律のなさ、自己批判のなさを斬り捌いている。 日本文化のだらしのなさに対して、伊丹十三はほとんど憎しみに近いものを感じている。 そして、この日本人批判、日本文化批判を、当時の多くの読者は、「そうそう」と深く頷きながら読んでいたと説く。 そこがスノビズムとは一線を画していると。 時代は昭和36年、戦後13年の混沌とした貧しかった日本において、ヨーロッパに映画撮影のために約一年滞在、そのギャラでロータスエランを購入他、傍から見れば放蕩自慢のスノビズム、しかし文面からは、純粋な興味や本質の追及、そして模倣の国だった日本への皮肉ようにも感じた。
さてクルマ好きなので、「ヨーロッパ退屈日記」からロータスエラン購入にまつわる件をご紹介すると、以下の通り。
「ロードジム」という70mm映画にウォリスという大役がある。自費でよければロンドンへ来てテストを受けないか、という電報を知り合いの女性から、受け取った。この女性、映画のキャスティング・ディレクターである。 私はロンドンへ,発つに当たって実にくだらないことを、一つ決めてきた。 もし、この役がもらえたら、何が何でもロータスエランを買ってやろうと思ったのです。 役がもらえるということは、どういうことか。 あの、ピーター・オトゥール、ジェームス・メイスン、ジャック・ホーキンスなんかと入り乱れて、しかもリチャード・ブルックス監督の下、70mm映画の仕事をするという、俳優にとって、夢のような、名誉なことだ、と書いている。
ピーター・オトゥールとは、あの「アラビアのロレンス」主演男優、イギリスきっての大俳優である。 そして伊丹十三はスクリーンテストを合格、映画「ロードジム」にて役を見事に演じている。 当時、70mm映画に出演するということは、もの凄いギャラを得ることであり、ロータスエランを購入しても、尚も余る金額だったようである。 興味が湧いたら、昭和36年(1961年)当時の日本を思い浮かべながら一読されては如何であろう。 「ヨーロッパ退屈日記」は、伊丹十三の文筆家としてのデビュー作であると同時に、「随筆」とはやや異なるニュアンスで用いられるようになった、「エッセイ」が日本に誕生した瞬間でもあったとも言われている。
ドキュメンタリー番組「こだわり男とマルサの女」は、宮本信子夫人の回顧録は中心とあって、1962年、前妻・川喜多和子と自主製作した短編映画「ゴムデッポウ」はネグレクトされている。 また1997年12月20日、伊丹プロダクションのある東京麻布のマンション下で遺体となって発見された突然の死についても言及されていかった。 伊丹十三は、死の5日前まで医療廃棄物問題の取材も続けており、自殺直前の様子と不自然さから、この自殺は強い疑惑が持たれ続けている。 米国出身のジャーナリストで、元読売新聞社会部記者であるジェイク・エーデルスタインの著書によれば、当時、後藤組と創価学会の関係を題材にした映画の企画を進めており、創価学会関係者や後藤忠政組長がそれを快く思わず、配下の5人が伊丹十三に銃を突きつけ屋上から飛び降りさせたと、ジェイク・エーデルスタイン自身が取材した人物が語ったという説もある。 今となって知る由もないが、不可解な死であったことは確かである。
先週末、金土日と「にっぽんど真ん中祭り」なる一大イベントが名古屋市街、久屋大通り公園会場他にて開催、昨年の来場者は約200万人とかなり盛大、真夏の名古屋を舞台に繰り広げる日本最大級の踊りの祭典と言われている。 コンセプトは、「観客動員ゼロ=全員参加型」の祭り、観客も一緒に踊りが楽しめる名物「総踊り」は、2010年、「世界一の総踊り」としてギネス世界記録認定されたほどである。 朝から雨だったが午後三時くらいから雲間から陽射しが、夕方にはキレイな夕焼け、前述の番組を見終えたので、遅まきながら覗いて見ようと出掛けた。 すでに祭りのピークが過ぎて駐車場も空いているだろうと思っていたが、これが甘かった。 周辺道路は規制ばかり、やっと見つけた駐車場も入場するまで約一時間、クルマを停めて会場へ向かうが、すでに帰路の人だかり、メインストリートの大津通りは歩行者天国終了、残るセントラルパークだけでの開催だった。 高温多湿の名古屋もどうやら風が変わったようで、暑いには暑いがカラッとした暑さになった。 まだまだ残暑は厳しいとは思うが、一応、夏も一段落したようである。