いやはや、結構なモノをラ・フェスタ・プリマベーラ2013に拝見してしまった。 1964年、Ferrari 330GT 2+2、この時代のクラシック・フェラーリを観ると、思わずグッと来てしまう。
Ferrari 330GT seriesと言えば、実に多くのバリエーションが存在するが、個人的には、NARTの総帥である、あのルイジ・キネッティがミケロッティにオーダーしたFerrari 330 GT Coupe Michelottiが大好き。 叶う筈など微塵も無いが、こんなエレガントなワンオフで、ラ・フェスタ・プリマベーラのようなクラシック・ラリー・イベントへと出場したいモノである。
他にも好きなクラシック・フェラーリはまだある。
この275GTBもその一台、当時のフェラーリ・ストラダーレのフラッグシップであり、あのDaytonaの前モデルとなる。 少し脱線するが、Daytonaのメカニカルな部分は、基本的には後期モデルである275GTB/4と同じ、実績のある信頼性の高いパッケージは継承、しかしボディ・スタイルは一新、モダンナイズして架装している。 似たような事例では、Dinoと308したといったところだろうか。
275GTBは、250GT系の後継車として、1964年、秋のパリ・サロンに登場した。 ロングノーズ・ショートデッキのボディは、もちろんピニンファリーナ、しかし製作は、GTBがスカリエッティ、GTSがピニンファリーナと分担された。 4,325×1,725×1,245とあるが、当時はほぼ手作り、一台一台、その細部が微妙に異なり、個体差が大きい。 また当時は、顧客の要望によってスペックの変更が可能だったので、多くのバリエーションが存在する。 代表的なモデルでは、ウェーバー6基に増設した275GTB/6C<6キャブレター>、アルミ・ボディの275GTB/C<コンペツォーネ>など、様々な仕様が存在している。
エンジンは、250GTから引き継いだコロンボ設計のティーポ213、60度のV12、SOHCの3.3L、3基のウェーバーで280psを発生。 シャーシは、コルサと同じマルチチューブラーフレーム、ホイールベースは2,400とSWB。 サスは、ストラダーレでは初となる4輪独立縣駆、前後ともダブルウィッシュボーン、ショックはコニーが採用されている。 ブレーキはダンロップ製の4輪ディスク、ホイールはカンパニョーロのマグが標準、オプションで、ボラーニのワイヤーホイールも選べた。 ステアリングはウォーム&ローラー、まだラック&ピニオンは採用されていない、加えて言うなら、この275GTBから電動ファンが採用された。 FRレイアウトのフロントヘビーを改善するためのトランス・アクスルも、この275GTBに初めて採用された。 この当時、フェラーリは全てV12、ネーミングは流儀に従って、排気量の1/12、3.3Lだから、つまり275ccがモデル・ネームとなる。 重量は1,050kgと発表されたが、しかし実際は1,100kgを下回ることはないと言われている。 フェラーリよるオフィシャル重量と実測の相違は、すでに、この時代からあった(苦笑)
1966年には、スタラダーレでは初のDOHCとなり、キャブも6基に増設、ステアリングもラック&ピニオンとなり、名前も275GTB/4、末尾にDOHCを示す4カムが表記された。
米映画界の大スター、スティーブ・マックイーンは無類のカー・マニア、映画ブリットでは、映画史上最高と称されるカーチェイスをスタントマン無しで演じるほど、ドライビングテクニックは長けていた。 そんなマックイーンもFerrari 275GTB/4のオーナーだった。
CKBのPlayboy Twistの歌詞にも「血の色の跳ね馬275GTB・・・」と登場、ハードボイルド大藪春彦の「全開でとばせ」にも登場している。
こちらが、ピニンファリーナが製作を担当したGTS。
こちらは、ルイジ・キネッティが10台だけ製作したFerrari 275 GTB/4 NART Spyder。
そして1968年、パリ・サロンにて後継車として登場したFerrari 365GTB/4 Daytonaにフラッグシップを譲り、275GT seriesは、累計約350台の生産を終えた。